乙訓鎮座神社
かす が じん じゃ
春日 神社
祭神 
社格等旧村社
住 所
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備 考勝龍寺の産土神

 春日神社は、平安時代末の承安四年(一一七四)、九条兼実くじょうかねざねによる建立といわれ、天正一〇年(一五八二)に焼失、慶長九年(一六〇四)に再建、弘化二年(一八四五)に破損・再建されたと伝えられている。 祭神は天津児屋根尊あまつこやねのみこと姫大神ひめおおかみ武甕槌命たけみかづちのみこと斎主命いわいぬしのみことである。

 江戸時代には勝龍寺村の氏神うじがみで、現在は氏子の中から宮総代などが選ばれ、お千度や祭礼が行われている。

 境内は玉垣たまがきで囲われ、門、拝殿はいでん覆屋おおいやに入った一間社流造いっけんしゃながれづくり本殿ほんでんがある。 また、元禄一三年(一七〇〇)の銘をもつ石鳥居のほか、石灯篭どうろう(正徳四年の銘)、狛犬こまいぬ(慶応元年の銘)があり、江戸時代に境内が整備されたことがうかがわれる。

出所:『春日神社』長岡京市教育委員会駒札


 鳥居の右側が春日神社です。
 左奥に見える勝龍寺は洛西観音霊場第14番札所、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第3番札所です。
≪本殿・覆屋≫

更新日:2022/01/18