聖徳太子御遺跡 第五番 |
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高野山真言宗 本尊 薬師如来 |
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船氏の里
羽曳野市は古くから交通の要地として開け、日本有数の古墳地帯として知られる。 古社寺も多く、野中寺もその代表的な存在だ。
蘇我・物部の戦いの折、蘇我馬子の軍勢の一軍は飛鳥から二上山の逢坂を越えて古市(羽曳野市)へ向かい、一軍は大和川沿いに河内の国分(柏原市)を経て物部守屋の本拠渋川(八尾市)を目指した。
野中寺は、このとき馬子軍に参戦していた厩戸皇子(聖徳太子)がこの地で休息をとり、その後太子の命で馬子が建立したと伝える。 聖徳太子御廟のある叡福寺(大阪府太子町)を「上の太子」、決戦場の大聖勝軍寺(八尾市)を「下の太子」と呼ぶのに対し、野中寺は「中の太子」の名で親しまれている。
創建当初の寺の護持は、この地を本拠とする渡来系氏族の船氏があったといわれる。 これまで非公認で仏教を信仰していた渡来氏族にとって、崇仏派の蘇我氏を支援するのは当然だった。 なかでも船氏はとくに蘇我氏と深い関係があった。
野中寺にはすでに太子時代の足跡は何も残らない。 本尊の薬師如来像は太子の作という伝承もあるが不明だ。 太子の生誕地の一つと伝える橘寺(奈良県明日香村)のものと似た美しい花弁形の三重塔の心礎と、「太子閼伽井と呼ばれる井戸、それに近くの埴生野にある太子の弟の「来目皇子の墓」が、わずかに太子とこの地との関わりを今に伝えている。
出所:『聖徳太子の寺を歩く』から抜粋
≪山門≫
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≪本堂≫
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更新日:2019/09/23