聖徳太子御遺跡 第二十八番 |
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天台宗 本尊 釈迦如来、薬師如来、如意輪観音 |
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もう一つの斑鳩
兵庫県姫路市の西に、太子町という町がある。 町名の「太子」とは、いうまでもなく聖徳太子を指している。
その太子町に斑鳩寺という寺がある。 寺伝では、推古天皇からこの地の広大な水田を賜わった太子が斑鳩宮に因んで斑鳩荘と名づけ、法隆寺の別院として伽藍を営んだ。 これが斑鳩寺の始まりという。
推古天皇14年(606)、天皇が止利仏師に命じて造った1丈6尺の仏像が完成し、法興寺(飛鳥寺)の金堂に安置された。 あの有名な飛鳥大仏だ。 天皇はその落慶記念として、皇太子(聖徳太子)に「勝鬘経」を講讃することを命じた。
『聖徳太子伝暦』によると、太子は橘寺で三日間をかけて「僧の義の如く」、即ち専門の僧のように見事に講讃した。 日を改めて今度は「法華経」の講讃も命じられ、岡本宮(今の法起寺)でこれを七日間行った。 講讃には諸王子や大臣をはじめ、大夫以下の臣下もこぞって参加した。
天皇はたいへん喜び、太子に播磨国の水田360町(『日本書紀』には100町)を賜わった。 太子は、これを大和の斑鳩寺(法隆寺)の所領地として布施したという。
法隆寺の荘園となった斑鳩荘はその後も発展し、法隆寺の経済基盤を支えてきた。 斑鳩寺も往古には七堂伽藍、坊庵が立ち並び偉観を呈していたという。
斑鳩寺は、同じく太子が法隆寺の別院として秦河勝に建立させたと伝える鶴林寺(かくりんじ)が「刀田の太子」と呼ばれるのに対して、「鵤の太子」の名で親しまれ、ともに古くから播磨地方の太子信仰の中心として繁栄してきた。
出所:『聖徳太子の寺を歩く』から抜粋
≪山門≫
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≪聖徳殿≫
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更新日:2019/09/23